大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋高等裁判所 昭和35年(う)871号 判決

控訴人 被告人 片山金一

弁護人 金武和夫

検察官 辻本修

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は弁護人金武和男の控訴趣意書に記載されているとおりであるからここにこれを引用するが、これに対し当裁判所はつぎのように判断する。

所論は要するに、被告人が洪性楞所有の本件家屋を損壊したのは、右洪性楞が被告人の借地上に不法に右建物を築造したので、その急迫不正の侵害に対し自己の権利を防衛するため已むことを得ざるにいでたる行為であるから、刑法第三十六条第一項の正当防衛ないし自救行為に該当するというのである。よつて記録を精査し、原裁判所において取調べたすべての証拠の内容を検討し、当審における事実取調の結果を加味参酌するに、

被告人は昭和二十四、五年頃赤地末雄外一名から稲葉郡蘇原町興亜町一丁目四番地所在の土地約三百三十坪と、これに隣接する同町一丁目三番地所在の土地約二百七十坪計六百坪を夫々賃料坪当り月五十銭(その後一円五十銭に増額)賃借期間三十年の約で賃借し、その地上に作業場を建設し、当初は被告人の個人経営であつたが、昭和二十八年四月頃から泉工業株式会社を設立し会社組織に改め、鉄工業を営んでいたものであつて、その間右借地上に逐次建物を増設し、同会社名義の工場一棟建坪五十八坪一合五勺及びその附属建物たる事務所建坪十一坪を始め、被告人所有名義の工場数棟、倉庫並びに被告人の居宅一棟があつて、敷地のその余の部分は右会社の材料置場などに利用されていた。しかるに洪性楞は右土地の所有者たる赤地末雄外一名から昭和三十三年七月二十九日頃その土地の譲渡を受け同年八月九日頃これが所有権取得登記を了したのであつたが右洪性楞は先きに被告人が右旧地主に対し賃料の支払を遅滞したことがあつたのを奇貨として被告人の借地権はすでに消滅しているという口実のもとに、被告人の右土地の明渡を求めてきた。しかし被告人としては右土地については洪性楞に対抗しうる借地権があるのでこの理不尽な要求に応ぜず両者の関係は急速に悪化の一途を辿り円満解決の曙光さえも認められなかつた。そこで右洪性楞は同年八月十日過頃那加町居住の大工広江重平に対して用材瓦手間賃とも四万円の約で約六坪のバラツク建物を注文し、その後自ら右家屋建築の基礎工事用としてコンクリート、ブロツクを右土地附近に運びおき、同月十九日早朝突如右土地内に被告人には無断で立入りかつ擅に当局の建築許可を受けることもなく、予ねて用意してあつた右コンクリート、ブロツクを積んで家の土台を作り、同日午後大工の右広江とともにその土台上に柱を組立て棟上げをなし強引に家の建築にとりかかつた。しかもその位置は当裁判所の検証調書によると右土地の南東にある泉工業株式会社の事務所とその向いあわせの位置にある南西の鈑金工場との間に存するわずか巾約二十四尺の空地であつて、しかもそこは外部公道から右工場敷地への出入口の部分にあたり、その土台となつたコンクリート、ブロツクの間口は約十九、三尺奥行約十三、二尺の矩形をなし、その東端の線は事務所の西側に平行しそれから約二、五尺またその西端の線は鈑金工場の東側に平行しそれから約一、九尺離れているに過ぎなかつた。そのため同所の空地部分は著しく狭隘となり、出入通路もほとんど閉塞されたに等しく、従来同所を出入していた材料運搬用のトラツクなども、いまやまつたく出入することができず、わずかに人の出入をゆるす程度の空所しかなくなるので、被告人の経営にかかる泉工業株式会社はその営業活動を完全に阻害され、多大の損害を被る虞が濃厚となつた。かくて被告人は直ちにその事態を稲葉警察署に通報し、同署より洪性楞に対して右建築を中止するよう警告方を求めたので同署では蘇原町警部補派出所の警部補上野整治を右建築現場に赴かせて洪性楞に対し同所で右建築を強行することは住居侵入、業務妨害等違法行為となる疑があるとして厳重にその中止方を警告させたところ、洪性楞はその警告に従つて一時建築を中止する旨言明しておきながら、ひそかに右広江に命じてその建築を続行させ、翌二十日セメント瓦をあげて屋根を葺き、翌二十一日午前中にははやくも外周の下見板を張り、ガラス戸をいれるなど一応バラツク住宅としての外形を整え、間口約三間奥行約二間建坪約六坪の木造平屋建スレート瓦葺家屋一棟を建設してしまつたが、まだ内部については畳建具等の造作及び電燈配線等の設備はなされていなかつた。そこで被告人はこれを憂慮し、その打開策として友人桐井一夫を稲葉警察署に赴かせて洪性楞の右行為に対する刑事上の措置を採られたき旨嘆願せしめたが、なお同警察はそれが民事上の問題と絡んでいるという理由で慎重な態度を持し、断固たる措置にでることを躊躇していたので、被告人もことここにいたつては、もはや自力によつて禍根を絶つほかなしと決意し、ついに原判示のように洪性楞所有の右家屋を解体撤去するにいたつたものであることが認められる。

はたしてそうだとすると、

(一)まず洪性楞がたとえ本件土地について所有権を取得したとしても、被告人において借地権を有し、現に営業活動をしている本件土地上に無断立入り擅に右のような建物を築造してその営業を妨害したことは、被告人の借地権や営業上の権利を侵害すること甚しきものであつて、不正な行為であることは言を俟たない。

(二)洪性楞が築造した本件家屋は、右の如く被告人方及び泉工業株式会社の表出入口の、しかもほとんど通路の道巾いつぱいにまたがつて建てられており、これがためこの通路以外には公道との連絡のつかない地形にある被告人方、ことにその経営にかかる泉工業株式会社においては製品の搬出や業務上必要な材料運搬用のトラツクはもとより、自転車の出入すら困難となつたのであるから、同会社の営業はこれによつて完全にその死命を制せられ、営業活動もかくては忽ち完全に麻痺状態におとしいれられることはいまや火を睹るより瞭であつて、その侵害が急迫であつたことは毫末も疑がない。

(三)洪性楞が右家屋を建設するについて、それほど緊急な必要性があつたとはおもわれないのに、他人の借地内に無断で立入り、所もあろうに前記の如く他人の営業活動を不可能にするような致命的な場所をことさら択んで、予めひそかに用意していたバラツク建物を突如として無断築造するというが如きことはそれ自体住居侵入業務妨害罪等の犯罪行為すら構成すること疑のないところであつて、警察官がかかる悪意に満ち満ちた傍若無人の犯行に対し、被告人の方からの哀訴嘆願にもかかわらず、民事上の問題がからんでいるとして速に断固たる措置をとらなかつたことはまことに遺憾に堪えないがそれはともかくとして、被告人が事態のかくなる以上、もはやいつなん時洪性楞が右建物に入居するやもはかりがたいし、そうなつてからでは、同人のため既成事実を楯にとられ、仮処分その他の民事訴訟によるも、その権利の回復はますます困難に陥るべきことを憂慮するの余り、ついに実力をもつて本件建物を解体、撤去するにいたつたのであるから、被告人としてはまことに已むことを得なかつたものと認められる。もちろんかかる場合断行仮処分による救済を求めうることは原判示のとおりであるが、これとても被告人が入居してしまえば果してどの程度の救済が得られるかもわからないし、ことにかような悪質な住居侵入業務妨害等の犯罪行為すら成立することの明な案件において警察力の行使という、もつとも手近な、迅速にして強力な救済手段が求められているのに、その目的が達しえられない場合でも、被害者がその焼眉の急に対して民事訴訟という比較的、時と労力と費用を要するいわばより手ぬるい手段にのみ頼つて、その犯罪行為を拱手傍観していなければならぬものと解すべきではない。

(四)しかも本件家屋は前記のように、材料共わずか四万円で築造された文字通り一夜づくりといつてもよいほどの簡易なバラツク建築であるから、これが解体撤去によつて洪性楞の被るべき損害の如きは被告人や右会社が本件不法建築によつて被るべき損害とは比較すべくもない。

したがつて被告人が本件家屋を解体、撤去したことは所論の如くまさに刑法第三十六条第一項のいわゆる急迫不正の侵害に対し已むことを得ざるにいでたる行為にあたるものというべく、論旨は理由があり原判決はとうてい破棄を免れないので、刑事訴訟法第三百九十七条第一項第三百八十条により原判決を破棄するが、本件は原裁判所が取調べた証拠によつて当裁判所において直ちに判決するに適するものと認めるから、同法第四百条但書に従い当裁判所において判決する。

本件公訴事実については、刑法第三十六条の正当防衛の成立すること叙上のとおりであるから、刑事訴訟法第四百四条、第三百三十六条に則り被告人に対しては無罪の言渡をなすものとする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判長判事 小林登一 判事 成田薫 判事 布谷憲治)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例